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 ともさん007

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芸術に関すること、蒐集しているもののこと、趣味でやっていること、うんちくを語らせれば、切りがない。そんな ともさん007の徒然なるひとり言をどうぞ!

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ともさんの徒然なるうんちく
芸術や蒐集・趣味に関するひとり言。   
骨董集めの楽しみは何だ?
 骨董品を集める楽しみは、何といってもその骨董品を手にしながら、この作品は、誰の手にあって、どう使われていて、どうして骨董屋にまで来たんだろうと想像することでしょう。1時間見ていても飽きないものもあります。経年しても美しさが全く衰えないものもありますが、ひびがいったり、繕いがしてあるもののあります。欠けているものもあります。それでも長々と時代を超えて受け継がれたものですから、何かの魅力がなければ残っていかないと思います。
 
 さて、ちょっと聞きなれない”約束事”という言葉を説明いたします。約束事とは、この時代に作られたのであれば、必ずそうでなければいけないという決まり事のことです。例えば、”初期伊万里の大皿というのは、三分の一の高台で、釉薬が生掛けである”といった、その時代、その場所でできたものは、そうでなければならないというものです。ですから、骨董を見る時には、ある程度の歴史的背景を基にした専門知識がないと、ただ美しいだけでは、つまらなくなってしまします。東南アジア、特にインドネシアを中心とする地域には、1650年頃の輸出伊万里があることは、考えられるが、幕末の古伊万里が、この地方にあるとは考えられません。また、明朝の磁器は、万暦年間の後、陶磁器の輸出を禁止していますので、それ以降のものが東南アジアに多くあるとは考えられません。

 すなわち、信じられないものが、信じられないところには、”ない”ということなのです。このように、知識は、掘り出し物を見つける為の土台として考え、お宝に巡り合えるためには、多少の勉強も必要でしょう。

 下の呉須赤絵は、古伊万里を買ったのと同じ時に買ったものですが、明代、1350年頃のものではないかと思っています。絵柄がかわいらしくって買ったものですが、結構ものが良かったようです。

 いつどういった形でお宝に巡り合えるかはわかりませんが、良いものに出会った時には、そのお宝が呼んでいたように思えるのが不思議でたまりません。これも骨董集めの楽しみなのでしょう。私の住んでいる広島では、芸予大地震がきました。結構揺れましたが、お宝はこわれませんでした。次代に引き継いでいきたいと考えています。

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万暦赤絵の話(その2)
 万暦赤絵の話(その1)では、簡単に万暦赤絵とは何かという話をしましたが、ここでは少し詳しく万暦赤絵についてお話しましょう。万暦赤絵とは、明朝の万暦年間(1573年〜1620年)に作成された五彩(赤、青、黄、緑、紫)を使った色絵磁器のことです。明国は、1368年に洪武帝が建国し、1644年に滅亡しております。日本では、室町時代から安土桃山時代を経て、江戸時代の初期までの時代に当たります。明朝は第3代の永楽帝により確固たる国力を確立し、栄華を極めていましたが、この万暦年間は、北方のヌルハチ(後の清国)の攻撃、日本からは秀吉の朝鮮出兵等により急激にその力が低下してきた時期であります。そして、万暦年間が終了後、24年で明朝は滅びています。

 同時期に、明朝の磁器作成技術が朝鮮を経て、日本へも入ってきて、日本で最初の磁器が有田で焼かれました。古伊万里は、ある意味、万暦時代の中国磁器を見本にして作られ、その後日本的な感覚を表現していったものなのです。万暦年間は、国力が衰えてきていた時代で、中央の統制も緩んで、陶工たちが、思い思いに自由に筆を運び、個性のある作品が多く作られています。

     万暦赤絵       銘

 それでは、私が買い求めた万暦赤絵を見てみましょう。皿の中央にお寺かな?お立ち台のようなステージがあって偉そうな坊さんが二人の従者をつれて偉っそうに座っています。この絵が何を表現しようとしているのかは、私にはわかりませんが、絵皿にはよく当時の様子が描かれていることがありますので、その時代、このような感じで、偉いお坊さんが説教していて、その様子を後世に残したかったのかもしれません。いずれにしましても、この絵皿のように、万暦時代の五彩磁器は全体的に赤を多く配色して、赤っぽく見えることから万暦赤絵と呼んでいます。万暦赤絵の特徴は、中に絵を描いているものが多く、特に人物、建物、動物、龍等が描かれています。銘を見てみましょう。しっかりと”大明萬暦年製”と入っています。手書きですが、当時の一般的な銘です。こういった製造年を銘として入れるようになったのは、明朝の宣徳年間(1391年〜)からです。それ以前のものには製造年の標記はありませんので、正確な製作時代がわかるのは、宣徳年間からのものだけです。

 さて、この赤絵皿、状態が完品であったので、新しい年代のものではないかと疑ったのですが、信用のおける骨董屋さんだったのと、その骨董屋で仕切っていた奥さんと値段の交渉をしていたら、店主のご夫婦のおばあちゃんから”骨董というのは値切って買うものではない!”と叱られまして、その場で、交渉は終了。その値段で買った思い出があります。客を叱る店主の気迫に参りましたし、骨董というのは、自分で値段を決めるものなのだと言い聞かされた気がしました。

 ちょっと長くなりましたので、次回には、約束事と骨董蒐集の楽しみ方についてお話します。

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万暦赤絵の話(その1)
 中国は英語でチャイナ(CHINA)、即ち、陶磁器という意味であり、文字通り陶磁器の原点は中国にあります。中国では、太古の時代より各王朝ごとに特色のある陶磁器を生み出しておりますが、今回は、明朝が滅びていく前に一花咲かせた”万暦赤絵”(万暦年間は1573年〜)の話をしたいと思います。

 上述のように、中国では各王朝時代に有名な陶磁器を生み出しております。代表的なところでは、三国時代から南北朝時代の”古越磁”(青磁の初期のもの)、宋時代の”砧青磁”、元時代の”元染付”、明時代の”祥端”(しょんずい)、清時代の”古月軒”等々ありますが、元時代に発明された磁器は当初”染付”(中国では青花)といわれる、白地に藍色の模様のものから、明時代には、”五彩”と呼ばれる、赤、青、緑、黄、紫で模様を描いたものができるようになりました。

 明時代の絶頂期の嘉靖年間(1522年〜)には、その”五彩”を使った色絵磁器が旺盛を極めましたが、柿が熟して落ちていく寸前のものが、万暦年間に、”万暦赤絵”として、味わいの深い磁器を後世に残しています。

 その特徴は、五彩のうち、特に赤色を多く使用している為、全体的に赤く見えること、図柄が幾何学模様ではなく、絵を描いているものが多く、芸術的なセンスのあるものが多いことがあげられます。日本の磁器では、九谷焼や、柿右衛門様式が似ています。

万暦赤絵    銘

 そこで、上の写真をみていただきたい。小生が、マレーシアのコタキナバルで買い求めた”万暦赤絵”です。この時も偶然ふと立ち止まった骨董屋さんで、見つけたのです。決して探しているのでなく、とにかく偶然、見つけてしまうというのは、何か運命的なことも感じます。

 早速値段を見たのですが、なんと3800マレーシアドル(現地の価値換算をすると30万円相当か?)もするでは、ありませんか! 一応値段の交渉をしてみましたが、3000ドルが限界というので、あきらめて一旦帰国しました。その時に、相場感がなかったのと、保存状態があまりに良かったので真贋が付けられなかったことが理由でした。

 その後、インターネットで調べたところ、日本国内では、本物であれば40万円から50万円で取引されているようでしたので、骨董屋の付けている値段も妥当なのかなと思い始め、その絵皿が欲しくなって諦められなくなりました。しかし、その後2度ほどコタキナバルを訪れたのですが、店が開いていなかったり、時間が合わなかったりしてお目にかかれませんでした。縁がなかったのかと一時は諦めてしまいました。

 清王朝末期(1915年くらいから)、多くの富裕中国人が戦乱を逃れて、華僑となって東南アジアへ流れてきました。その際に、”お宝”を持って出国した華僑の人たちによって、こういった骨董品は、シンガポール、マレーシア、インドネシアには多く存在しています。しかしながら、そういった事情で骨董品が出ている為、真贋を証明できるものはありません。自分の目と勘だけが頼りです。

 さて、私の目と勘が良かったのか、どうだったのかは、その2でお話します。

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古伊万里との出会い
古伊万里


上の写真をみていただきたい。私がインドネシアのウジュンパンダン市(マカッサル)で買い求めた古伊万里です。欠けもあるし、色落ちもしていてとても上等の古伊万里とはいえないが、染錦手という種類のものです。

まず、古伊万里とは何かということを説明しなければ、何のことやらおわかりにならないでしょうから、掻い摘んでお話いたします。
古伊万里とは、鍋島系、柿右衛門系を除く、幕末以前のすべての有田焼きのことです。(鍋島系、柿右衛門系については、”日本の陶磁器の話”を参照してください。)それでは何故”古伊万里”というのか?古有田ではないのか?という疑問が出てくるでしょうが、それは、有田焼の多くが近隣の伊万里津から海路で国内や東南アジア、ヨーロッパへ輸出されたために伊万里の名前が使われるようになったようです。

古伊万里は1650年頃から、1750年頃までの100年間、かなりの数量が輸出されています。これには、時代の背景があります。安土桃山時代から、ヨーロッパの各国は、競ってアジアに進出しています。先陣を切ったのが、スペイン、ポルトガル、オランダで、中でもオランダは、東インド会社をインドネシアのバタビアに設立して、貿易を拡大していました。いろいろなものを取引していましたが、特に明朝の磁器食器は、大量にヨーロッパへ輸出されています。しかし、江戸時代初期、明朝が滅び、清朝が中国を制覇しました。清朝は、江戸幕府と同様、ヨーロッパ各国の進出に対して、鎖国で対抗し、磁器食器の輸出を禁止してしまいました。それで、オランダは当時江戸幕府より貿易の許可を得ていましたから、伊万里津から長崎を経て、古伊万里を大量に輸出するようになったのです。しかし、清朝の磁器食器の輸出再開とマイセン(ドイツ)、デフルト(オランダ)、ウースター(イギリス)等で、磁器食器の生産がされるようになり、古伊万里の輸出は激減し、国内向けがほとんどになりました。

これで、何故古伊万里が東南アジアに存在するのかおわかりいただけたと思いますが、輸出されたものは、日用品が多く、皿、椀、コップ等西洋人が普段使っていたもので、芸術性が高いものは少なかったと思われます。しかしながら、東インド会社の社標(VOC)入りの皿等は、かなり厳しい規格で作られており、現存するものは高値で取引されています。

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VOCロゴ入りの皿であるが、品質が悪く、後でロゴを加えた可能性がある。バリ島で購入。

下の朱印船貿易の航路の図を見てもらいたい。中学校の教科書より引用しましたが、バタビアとは、ジャカルタ(オランダ東インド会社所在地)で、マカッサルとあるのが、ウジュンパンダンなのです。古伊万里が、ウジュンパンダンにあっても不思議ではない理由がおわかりいただけたと思います。

この古伊万里との出会いが、私の骨董収集のはじめの一歩だったわけですが、その後は、日本のものではなく、中国の磁器を中心にお宝収集をしています。

次回は、中国磁器のお話をしたいと思います。
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